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会社員時代(1)

【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。

 

会社員になったのに、戦力になれない苦しみ

なんとか就職活動が終わり、私は無事に社会人になった。

社会人になる直前の私は、
「ここから俺のサクセスストーリーが始まる!」
と本気で思っていた。今思うと恥ずかしい限りだ。

入社日を翌日に控えた3月31日夜、
近くの定食屋でカレイの一夜干しを食べた。

そのカレイにあたり、4月1日は強烈な腹痛から始まった。
入社日に休むわけには行かず、なんとか出社した。

社会人として、会社で私が最初に言った言葉は、
「胃腸薬と水をください」
だった。何の試練だ。

腹痛は2~3日で治ったが、本当の試練はここからだった。

研修は特に問題がなかった。
しかし、会社員として配属されてから、一気に問題が露呈した。

一例を挙げると、

・電話応対がうまくできない。
・軽率な対応をする。
・状況をうまくつかめない。
・誤字だらけの会議用書類を締め切りに遅れて出す。
・長時間の会議で集中力がすぐ切れる。

とにかく問題だらけだった。

大学までは締め切りが守れなくても、ミスが多くても、
周囲に迷惑をかけることは多くなかった。
単位を取れないなど、自己責任で済んだ。

しかし、会社員が締め切りに遅れると周囲にも迷惑をかける。
会社員の一部のミスは、場合によっては会社の信頼を傷つけることにつながる。
ミスが多く、締め切りが守れないことで周りに迷惑をかけ続け、罪悪感でいっぱいだった。

私が苦労しているのを横目に、同期達はどんどん仕事をこなし、
それぞれの部署内で戦力となって活躍していった。

私はなかなか戦力となれない。
苦しかった。

それでもなんとか会社員として仕事をやっていけたのは、
それは周囲の方々が暖かく見守ってくれたからだ。
特に粘り強く指導してくれた上司、先輩にはとても感謝している。

ADHDの診断を受ける。会社員として新たな一歩を踏み出そうとするが……

会社員になってから時間が経ち、私はなんとか仕事をこなせるようにはなりつつあった。
ただ、ミスや締切の問題など全然できないことは相変わらずあった。

そんなとき、大学時代の先輩から、ADHDのことを教えてもらう。
その先輩も当事者だった。
そして初めて入った会社で苦労をされていた。

先輩から話を聞き、調べてみると、どうも私もADHDだとしか思えない。
すぐに近くの大学病院に行って診断してもらった。

結果は、ADHD(不注意型)。

聞いたとき、ホッとした。
仕事ができない会社員の自分を、「努力不足」だと思い、
私は自分を責め続けていた。

努力不足ではなく、ある程度先天的な理由だと知ったときの
安心感は大きかった。

そして、ADHDを特性として成功している方の話を聞き、
自分もADHDの特性を活かした仕事で成功したいと思った。
当時は治療などの必要性は感じなかった。

そんな時、私に出向の話が持ち上がった。担当先への出向だった。
私は新しい環境に身を移し、自分の特性を活かして活躍したいと思った。

担当先の社長とは仲良くさせていただいていたので、出向の話を受けた。

それが、私にとって人生で一番苦しい時期になるとは、
その時は想像だにしなかった。

続きは、《会社員時代(2)》で。

 

【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。

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