catchview

会社員としての仕事からフリーランスの仕事へ

【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。

 

ADHD特性がある私は、会社員として2社に勤務したが、適応できずに辞めた。

当時は自分に絶望していた。
だが、生きたかった。

生きるためには収入が必要だった。しかし、会社員はもう無理だと思っていた。
だから、フリーランスとして独立し、仕事をすることにした。
周囲には、表面的な目標や夢を語ったが、中身は何もなかった。

フリーランスとして仕事を受けるべく、動き出す

当時の私に特別な能力はなかった。何をしたいかもよくわからなかった。
ADHD特性から、できないことが多いことだけは痛いほどわかっていた。
そこで、自分のできることを考えた。

そのときの私の武器は1つだけだった。

「知人が多い」

ADHDの方にはよく見られるそうだが、私には人懐っこさがある(らしい)。
学生・社会人時代を通して、様々なところに顔を出したので、フリーランスや経営者の知り合いも多かった。

そこで、会ってくれそうな人に連絡をして、
「独立したこと」
「何か仕事を欲しいということ」
を伝えて回った。

そうすると、何人かの方々が仕事をくれた。
多様な仕事をさせてもらった。

仕事の一部を紹介すると、
「大学生向けイベントの集客」
「落語会の集客」
「町屋のコミュニティ化のお手伝い」
「ベンチャー企業への大学生インターン紹介」
「行政に提出する資料の作成」

などなど。

フリーランスや経営者の方々は若い人にチャンスをくれることが多い。
(フリーランスについては、また別のブログでお届けします。)
私もたくさんのチャンスをもらった。本当にありがたい限りだ。

しかし、ほとんどのチャンスを生かすことができなかった。次の依頼がないのだ。
純粋に能力不足な場合もあるが、ADHD特性が原因である場合も少なくなかった。
ここでも私はADHD特性に苦しみ、自己嫌悪にも頻繁に陥った。

一方、少しではあるが自分に合う仕事もあった。
そういう仕事は継続的に依頼をもらうことができた。

講師という仕事に出会う

ただ、生きていくにはお金が全然足りなかった。
同棲していた彼女が働いて、稼いだお金で食べさせてもらっていた。
家事もほとんど彼女がやってくれていたので、早い話、私はヒモだった。

「さすがにマズい」と思い、安定的な収入を求めてアルバイトを始めることにした。
それが塾講師のアルバイトだった。
時給がよかったことが理由だった。

私はある大手塾を選んだ。
講師になるまで努力と時間が必要だったが、最も時給が高かった。

最初は早く講師になって効果的に稼ごうとだけ考えていた。
しかし半年ほど経ち、講師として生徒の前に立つ頃には、私は講師という仕事に魅せられていた。

塾内には講師を専業とする方々が多くいたが、彼らの高い専門性と指導力に憧れた。
ある講師が授業を行うことで、ある教科を嫌いだった生徒が、
その教科を大好きになるプロセスを見て、講師という仕事の凄さを知った。

何より、講師という仕事は私に合っていた。
合っていたというのは、私の長所を活かせる私の弱点が問題にならないということだった。

私の長所を活かせる

私は人前で話すことが昔から好きだった。
また、学ぶことも好きなので、学んだことを人前で話すことは向いていた。

私の弱点が問題にならない

講師に専念する限り、事務作業は少ないのでミスはほとんど問題にならない。
また時間管理についても、自分が準備した分までが講義に反映されるため、「~時までに○○は絶対にしないといけない」という締め切りがきっちり決まったものではなく、よほどのことがない限り問題になりにくい。

 

つまり、講師という仕事に私は適応できたのだ。
最初は苦戦したものの、しばらくすると結果も出せるようになった。
私は人生で初めて、心から仕事が楽しいと思った。
そして塾講師に熱中した。

しかし、塾業界は少子化で衰退傾向にある。
実際にアルバイト講師の単価は減少傾向にあった。

既に私は前述の彼女と結婚していた。
私に収入がない状態だったにも関わらず、よく結婚してくれたものである。
子供はいなかったが、子供ができると妻が働けなくなる。

不安だった。今後のキャリアを真剣に考える必要があった。

講師の仕事を続けることを前提とすると、現実的なキャリアは、
(1)塾で正社員となる
(2)現在の分野で講師としてトップクラスになる
(3)講師として専門性・単価が高い別の分野を目指す
という選択肢に絞られた。

(1)塾で正社員となる

正社員になると管理や事務の仕事が発生する。
ADHD特性がある私にとっては、うまく取り組む自信がない。

(2)現在の分野で講師としてトップクラスになる

マイナーな教科だったこともあり、トップクラスの講師になっても数十年も生活できるか不安だった。

(3)講師として専門性・単価が高い別の分野を目指す

「これしかないかな」と思っていたが、他の分野への参入方法がわからなかった。
そんな時、学生時代から私を可愛がってくれたフリーランスの先輩から、大学のガイダンスでの講師の話をいただいた。

私はそこから大学講師の世界に踏み出すことになった。

大学講師の仕事、発達障害・ADHD特性を持つ方へ

ここから先の話は、現在進行形のこともあるので書けません。。。
ADHD特性が大問題になったことが何度もあるので、本当は書きたいけど。

ただ、私は現在大学講師をメインとして活動させてもらっています。
大学講師となってからも本当に色々ありましたが、充実した毎日です。

ADHD特性は相変わらず私の大きな悩みの種です。
ADHD特性のため、大学講師としてのチャンスもたくさん潰してきました。
特に多いのは、事務・調整の仕事がうまくいかなかったり、納期に遅れて次の仕事の依頼がなくなったりです。

しかし、ADHD特性があるからこそ、講師として評価をいただいている部分もあると思っています。
特性による弱点を受け入れ・避けながら、長所を活かして活動していきます。

最後に、自分の歩みを書いていて、周りの方々にたくさん、たくさん助けてもらってここまで来たんだなとつくづく思います。
私はラッキーだと思います。周りの方々にとても感謝しています。

そして、たくさん挑戦して、たくさん失敗したからこそ、私が適応できる仕事を見つけられたのかと思っています。

私自身、まだ十分に余裕のある収入を得ているわけではありません。
しかし、私・妻・そして生まれた子供が生活でき、かつ人の役に立てる仕事を見つけられたのかなと思っています。

私の経験を読んで、発達障害を持つ当事者の方が、少しでも勇気づけられれば、とても嬉しいです。

 

【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。

就労移行支援エンカレッジ02 就労移行支援エンカレッジ01