catchview

私が自分に発達障害があると認めるまでに考えたこと(1)

【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。

 

発達障害であることを私は公表している。
その影響で、発達障害に関係する相談や情報提供が入ってくることがある。
最近、たまたま複数方面から似たケースの話を聞いたので、今回取り上げてみたい。

自分を発達障害と認める?認めない?

そのケースとは、
「自分が発達障害かもしれないと疑っているが、発達障害であることを認めない、知ろうとしない」
というものだ。

自分には発達障害があるかもしれないと疑う背景には、何らかの生きづらさがあるのだろう。
その生きづらさの原因として発達障害を疑っているのに、それ以上深く知ろうとしない方がいる。
そういう方の存在を、私は最初驚いた。しかし、いろいろ話を聞くとどうやら根が深そうな話だなと思えてきた。

発達障害についての認知はここ数年でかなり広がった。そのため、生きづらさを抱えた人が、その原因を発達障害に求めることが増えた。
しかし、自分に発達障害があるかもしれないという疑うことと、自身に発達障害があることを認めることは別問題だ。

自分には発達障害があるかもしれないという疑いを持ったとき、今後のキャリアを考えるためにはまずやることは2つだ。

1)発達障害者向けの外来や発達障害に詳しい精神科の医師の方を紹介してもらう(発達障害情報・支援センターなどで教えてもらえる)。

2)その精神科を受診し、発達障害であるかどうかを診断してもらう。

この2ステップで、自分に発達障害があるのかを診断してもらうことは何はともあれ重要である。
発達障害であると診断されれば、その症状に合わせた対策を立てることができる。発達障害ではないと診断されても、自分の生きづらさについてのヒントを得ることができる。
長期的なキャリアという観点から見ると、発達障害があるかもしれないという疑いを持った時点で専門の医師から診断を受けた方が良い。

しかし、「自分には発達障害があるかもしれない」と疑っているが発達障害であることを認めない方は、診断を受けようとしないそうだ。頭では診断受けた方がいいとわかっていても、診断を受けないケースさえあるらしい。

診断を受けようとしない心情を私は分からなくはない。
発達障害のことが一般的に認知される前に私はADHD不注意優性型という診断を受けた。
しかし、今のように発達障害についての言説が広まっていたら、気楽に診断を受けたかどうかは分からない。
また、「大学生のうちに障害者手帳を取得する?」でも書いたが、私は障害者手帳を取得するときかなり悩んだ。これは発達障害を認められない心理と似ていると思われる。

発達障害であることを認められない背景には何があるのか。表面的な理由は人によって様々だ。ただ、本質には「恐怖」があるのではないかと私は思っている。

・周囲からの見方が変わってしまうのではないかという恐怖
・自分が変わってしまうのではないかという恐怖

という2つの恐怖だ。

自分を発達障害と認めることへの「恐怖」

周囲からの見方が変わってしまうのではないかという恐怖

まずは、周囲の方からの見方が変わってしまうのではないかという恐怖について見てみたい。
発達障害があることを公表すると、周囲から色眼鏡で見られて就職・仕事において不利になるのではないかという恐怖があるようだ。
その結果、
「自分が組織の中で他の人と同じように働けない」
「自分のキャリア上の目標を達成できる環境ではなくなる」

という思考につながってくるらしい。

この恐怖はある意味正しい。そして、ある意味間違っている。

まず、正しいという面だが、心理学ではハロー効果という有名な現象がある。ある対象を評価するときに、目立ちやすい特徴に引きずられて他の評価にも影響するという現象だ。
発達障害はその中でもネガティブ・ハロー効果に該当し、発達障害があるというだけで、全ての仕事ができないように見なされることがある。

このように「自分には発達障害がある」と周囲に言うと、様々な不具合がある。
フリーランスの場合だと、発達障害であることを伝えると仕事が来なくなる。
組織に勤めていたとしても、人事部門に情報が伝わったら配属に影響が出る可能性は十分に考えられる。

私は最近まで、発達障害のある方に対する仕事上の不利益な扱いは、障害者に対する明確な差別意識があるのではないかと疑っていた。
近頃は、「障害者差別がなくならないのは何故か?」にて書いたが、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)の方が根が深そうだと感じている。
”発達障害者”というイメージがついた瞬間に、無意識のうちに周囲のイメージが形成され、それが仕事上の不利益な扱いにつながるのだ。

ただし、周囲からの見え方が変わってしまうのではという恐怖はある意味正しくない。経験的にだが、ある程度人間関係ができている方に対して「自分には発達障害である」と言っても関係が変わることは少ない。
ポジティブ面・ネガティブ面のどちらにおいても、個人としてどういう人なのかを知ってもらっていれば、発達障害であることが伝わっても影響がないことが多い。
社内でいい評価を受けていようが、悪い評価を受けていようが「やっぱりね」という反応で終わることが多い。

そのため、発達障害であることを周囲に伝えるか、伝えないかについては冷静に判断することが必要になってくる。
ただし、そもそも自分に発達障害があったとしてそれを伝える義務は法的にも道義的にもない。
そのため、自分が発達障害であることを知ったとしても、そもそも周囲に伝える必要はないのだ。

そのため周囲からの見方が変わるという恐怖のために、発達障害の診断を受けないという選択肢はそもそも存在しない。発達障害の診断を受けて、それを周囲に伝えるか伝えないかは、自分でコントロールすればいいのだ。

もう一つの、「自分が変わってしまうのではないかという恐怖」については、次回書きたい。

※1 「発達障害と社会の偏見(1)」も参照していただきたい。

 

【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。

就労移行支援エンカレッジ02 就労移行支援エンカレッジ01