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だらしなさとTV番組

【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。

 

TVのとあるバラエティ番組で、芸人の方のだらしなさを取り上げた回があった。
「だらしない芸人」が、そのことを面白おかしく話す番組だ。

実力のある芸人がひな壇に座り、楽しくトークする。とても面白かった。
そして、同時にとてもモヤモヤした。

バラエティ番組の楽しいトークで私がモヤモヤした理由

その番組を一緒に見ていた妻からは「あなたも同じだね」「昔はあなたもそうだったね」などと3回言われた。
実際に私にも身に覚えがあるエピソードが面白おかしく語られていた。

私は典型的なだらしない人間だ。子どもの頃からずっと言われてきた。一人暮らしをしているときは、だらしなさが特に酷かった。だらしなさが与えた仕事面でのマイナスは非常に大きい。

そして、そのだらしなさを改善しようとして何十年も苦労してきた。現在は妻のサポートがあること、子どもに危険を与えたくないことから、何とかだらしなくはない生活をしている。ただし、自室はとてつもなく散らかっている。

この私のだらしなさは、発達障害のADHDの特性から来ている。TVでだらしなさを笑うことは、ADHDを笑いに変えられているような気分になり、複雑な気持ちになる。もちろん、出演していた方にADHDなどの発達障害特性があるかどうかは分からない。

ただ、そのTV番組で私が特に気になったのは”だらしない=異常”となっており、それを”普通側”が”つっこむ=修正する”という構造だ。
だらしないことは異常なことであり、けなされる、もしくはさげすむ意味で笑いの対象とされるという前提で、番組が作られているのだ。そこに、だらしなさを抱えざるを得なかった人の生きづらさは全く考えられていない。あくまで、だらしなさは本人の努力不足とされているようだった。そのことに私はモヤモヤしたのだった。

別にこの番組に文句をつけたいわけではない。とても好きな番組だし、おそらくこれからも見続ける。むしろ、世間一般の”だらしなさ”に対するイメージをよく表しているのだろう。
芸人・テレビ番組制作スタッフとも、世の中を非常によく見ており、どう見せれば人々が楽しむか、笑うかを常に観察している。今回のテーマであった”だらしなさ“も、クレームにならずに、多くの人が笑う番組になるという判断の元で作られたのだろう。そして、後からニュースを見ても記事になっていないところから見て、大きなクレームはなかったようだ。

発達障害に対する認識は広まってきたが

実際に、発達障害に対する認識は広まっても、”だらしなさ”に対して世の中は寛容にはなっていないと感じる。まあ、だらしないだけではなく、他の発達障害に由来する事象についても世の中で寛容になっているとは思えないが…。

結局のところ、発達障害のことを多くの方が知るようになっても、本質的な意味で発達障害が理解されているわけではないのだ。世の中を写す鏡であるTV番組を見ていて、そのことを痛感させられた。

一方、そのTV番組を見て一つだけ救いになったことがある。芸能界という特殊な空間においてだが、だらしなさのある人が大活躍しているのだ。

芸能界は、だらしなさに寛容なのかもしれない。
企業で働くと、だらしなさに対して不寛容なのかもしれない。
しかし、あれだけ競争の激しい芸能界においてだらしない人も大活躍しているという事実は、だらしなさをはじめとした生きづらさを抱えた人にとって、一つの希望的要素になるのではないか。

番組のその回は、私に悲しい思いもさせたが、同時に希望も抱かせてくれた。

 

【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。

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