障害者差別がなくならないのは何故か?
【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。
制度的な障害者差別や、個人の意識的な障害者差別はなくなりつつある。だが……
障害のある方に対する差別は現代社会においてあるのか?
残念ながら、間違いなくあると思う。発達障害のある方に対する差別も間違いなくあると思う。
法制度の面では、障害者差別解消法が2016年4月より施行された。そして、公的機関や民間事業者は障害者に対する差別的な取り扱いが禁止された。
また、障害者に対する合理的配慮(負担が重すぎない範囲で、困りごとを取り除くために適切に対応すること)を求められるようになった。
障害者手帳制度をはじめとした、障害者福祉も少しずつ充実しているように感じる(減少している部分もあるとは聞くが)。
このように公式的・制度的には差別は解消されつつあると思われる。
個人レベルで見るとどうだろうか。
私自身の感覚だが、障害者に対する偏見・差別意識・見下しを意識的に持っている人も減ってきているように感じている。現実世界で障害者に対する直接的な差別を耳にすることは少ない。
それでも障害者差別がなくならない2つの理由
しかし、一方で障害者に対する差別はなくならない。
障害者差別と思われる内容が、ニュースやインターネット上で取り上げられることも少なくない。
実際、2017年度の「障害者に対する世論調査」(内閣府)では、「世の中には障害のある人に対して、障害を理由とする差別や偏見があると思いますか。」に対し、「あると思う」「ある程度あると思う」と答えた人の合計が83.9%となっている。
障害のある方、ない方問わず、障害者差別があると思っている方がこれだけいるのだ。
制度的に障害者差別は解消の方向に向かっており、直接的な障害者差別は口にされなくなってきた。しかし障害者差別は依然としてある。これには私は2つの理由があると思っている。
①アンコンシャス・バイアスの存在
おそらく、ほとんどの人は意識的な偏見や差別意識は持っていないだろう。
しかし、障害者に対しアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を持っている人は少なくないように感じる。
アンコンシャス・バイアスとは自分自身が気づいていない価値観・物事の見方などのことを指す。
例えば、「女性は守られなければならない」「男性は女性より運転が得意」「最近の若者は根性がない」などといった思い込みがある。
これらの多くは、過去の経験・習慣、周囲の環境によって作り上げられる。
障害者に対しても、「障害者は気の毒だ」「障害者は何をするかわからない」「障害者に重要な仕事を任せてはいけない」といった、無意識レベルでの偏見が多くあるように感じられる。
例えば、私はフリーランスという立場であるが、関係性ができる前に発達障害があることを伝えた相手から仕事を依頼されたことがない(当事者であることが有利に働く、発達障害関連を除く)。
一方で、一緒に仕事をしたある程度関係のある方に発達障害であることを伝えても、仕事を切られたことがない。(発達障害特性が原因で問題が起こり、仕事を切られたことはある。)
「発達障害である」=「仕事をさせるのはリスク」といったアンコンシャス・バイアスがあるのだろう。発達障害特性が原因で問題を起こしてきたことがあるので、その考えは否定しない。しかし、発達障害が問題にならないように仕事を作り上げてきた立場としてはそのような偏見はとても悲しい。
その他、「家を借りるとき障害があるため『火事にあったときに逃げられない』という理由で入居を断られた」という事例など、アンコンシャス・バイアスが原因と思われる差別は少なくないように思われる。
アンコンシャス・バイアスによる差別の厄介な点は、差別をした側は「差別をした」と意識をしていないことだ。しかし、差別をされた側は「差別をされた」と強く感じてしまう。
②同質性が高い日本という環境
日本は島国で、外国人の方が少ないという性質もあり、世界的に見ても同質性の高い国だと言われる。
その同質性の高さは、少ないコミュニケーションで意思疎通が図れるなどのメリットがある一方、異質なものを受け入れないという大きなデメリットもある。
そして、障害のある方は残念ながら社会では「異質なもの」と扱われる。
発達障害のある方の場合は、見た目ではわからないもののコミュニケーションがうまく取られなかったり、行動様式が違ったりすることから「異質なもの」として扱われてしまうことが多い。
大学の講義で、発達障害のある学生がグループワークに参加するときにもそう言った光景はよく見られる。発達障害のある学生が、うまくコミュニケーションが取れないと、その学生も参加できるような方法を模索するグループは少ない。その学生を無視して話を進めるグループの方が多数だ。
このように、「同質的な行動」が取れない人に対して日本は排除する傾向が強い。「同質的な行動」を取れない人に対する攻撃が「正しいこと」「当然のこと」として実施される。
職場で発達障害のある方に対して、特性上できないことを攻撃する人はこの同質性のワナにはまっていると感じる。
以上のように、2つの観点から障害者差別がなくならない理由を考えてみた。この2つは根が深いので、簡単に障害者差別がなくなるとは私は思わない。しかし、無意識的、文化的理由から障害者差別を気付かず行っている人たちを批判する気にはなれない。
私自身、発達障害のある方と接する時、自分のことを棚に上げて面倒に感じる時がある(私の場合は当事者であることもあり、できるだけ手助けできるようにしている)。
幸いなことに、ダイバーシティ(多様性)といった考え方が少しずつ広まるなど、障害者差別の根本的な理由に対しても注目が集まっている。
少しずつでも、障害者差別がなくなっていって欲しいなと、一人の当事者として強く願っている。
【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。
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