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発達障害と社会の偏見(1)

【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。

 

私はフリーランスの講師として生計を立てている。
新しい仕事を常に作り続けることが重要で、定期的に新しいクライアント候補と面談する。
紹介される場合も多いし、私から機会を作りに行くこともある。

発達障害をオープンする・オープンしない場合の現実的な差

最近気がついたことがある。
仕事の最初の面談で発達障害のことをオープンにした時の成約率が0%なのだ(発達障害系の講演を除く)。
ちなみに、発達障害のことを言っていない時の成約率は約50%程度だ。
発達障害をオープンにする、オープンにしないとも、ある程度の回数があるので、偶然とは思えない差がそこにはある。

自分から発達障害をオープンにしている訳ではないが、私の過去の話を聞かれた場合、どうしても発達障害の経験を言わない訳にはいかない。
発達障害があるが故に苦労してきた経験が、今の私を作っているのは否定できない事実だ。
聞き手の担当者は発達障害の話を真面目に聞き、「苦労されてきたんですね」などと言い、その場では承認する。そして一緒に仕事をしようとはしない。

講師をやる上で、私の発達障害特性であるADHD不注意型は、大きな影響を及ばさない。
小さな影響はたくさんあるが、講師能力で十分に挽回できる範囲内である。

発達障害のある方は、脳機能が他の人と一部違うことが原因で、通常「ある」とされる一部能力などが「ない」。
といっても、専門職である私の立場からすれば、本当に大きな支障があるなら、その仕事にそもそもついていない。

どうやら、仕事を依頼する側の方は、能力や実績より、発達障害であることのリスクを重視するようだ。
そこには発達障害に対する無理解と偏見がある。
私が発達障害であることを伝え、そしてそれ以降縁が切れた方々は、ごくごく普通の社会常識を備えた方々だった。そのような方々が偏見に捉われている。
残念ながら、それが今の現実かなと思う。

なぜ発達障害に対する偏見が生まれるのか

なぜ、こうなるのだろうかと考えてみる。

まず、発達障害という言葉自体は最近、広く知られるようになった。
ニュースアプリを見ていると発達障害に関する記事がたびたび流れてくる。
大学で学生に聞いても、発達障害という言葉は知っており、なんとなくのイメージもある。
このように「発達障害」に対する認知が広がってきている。もちろん、社会で知られるようになってきただけでも、以前と比べると嬉しい。

一方で、人々が発達障害を正確に理解しているかと言われると、理解はまだまだされていないと感じる。
なんとなくのイメージはある。どんな症状なのかも知っている。でも、身近に発達障害に関係する人がいない限り、ほとんどの人は正確に知ろうとはしていない。

原因は、情報の薄さにあると思う。ニュース番組での特集やニュース記事では、どうしても一部分のみを切り取らざるを得ない。
それぞれの記事ひとつひとつは分かりやすく、優れたものが多いのだが、文字数・時間の必要上、どうしても理解が表面的に終わってしまう。
なんらかの理由があって、意識して情報収拾をしない限り、発達障害について正確に理解することはない。

理解や興味の薄さは偏見に繋がる

最近、アフリカの某国出身の留学生と話す機会があった。
彼は、日本人のアフリカに対する興味の薄さを嘆いていた。
多くの日本人にとって、アフリカは遠い世界のことなので、目の前にアフリカ人が来ると、TVでよくある秘境の部族出身のように扱われるようだ。
しかし、彼は大都会出身であり、本国でのライフスタイルはむしろ我々に近いそうだ。

発達障害のある方に対する反応も同じようなものなのかもしれない。
お互いよく知らない方に発達障害があると言うと、特定のイメージを押し付けられてしまうのだ。
発達障害のある方、と言っても多様だ。特性からして全く違うし、性格、能力、ライフスタイルなど、様々な個性がある。そんなことさえ、理解されていない。

このように、発達障害が知られるようになっても、発達障害に対する理解が進んだ訳ではない。
家族・友人・仕事仲間に発達障害のある方がいない限り、発達障害について自ら知ろうという方は、残念ながら少ないのだろう。

社会からの理解の薄さは偏見に繋がる。
残念ながら、発達障害のある方は社会の偏見にまだしばらくは晒され続けるのだろう。
私は発達障害の当事者として、社会を変えることに全力を尽くそうとは思わない。
なぜならまず自分と家族の生活が優先だからだ。
自分と家族の生活を安定させた上でなら、発達障害の理解を促進する活動に関わりたいと思う。
ただ、自分と家族を安定させるためには、発達障害のことは初めて会った相手にはクローズし、長期的に関わりを持つようになった時点で少しずつオープンにしていくという作戦を取らざるをえない。

発達障害のない方でこの記事を読まれた方は、発達障害のある方がそういう偏見に晒されているという事実だけでも理解をしてもらえれば幸いだ。

また、発達障害に偏見が残る原因は、「見えにくさ」というものがある。
次回の記事「発達障害と社会の偏見(2)」で、それについて見ていく。
⇒ 発達障害と社会の偏見(2)

 

【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。

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