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発達障害当事者のサポートは社会がすべきか?当事者が努力すべきか?

【執筆者】かめたーとる
【プロフィール】
ADHD当事者。大学でのキャリア教育や就職活動支援、企業での障害者雇用の研修講師を務める。

 

発達障害当事者の生きづらさを解消するのは社会?当事者?

先日、ある発達障害当事者の方と話していると、「社会の支援が足りない」という話になった。
確かに、発達障害のない方と比べると、発達障害当事者は生きづらさを抱えている。
私も、何とか社会適応できるようになった今でも日々生きづらさを感じている。
発達障害当事者にとっては、社会は不利なように出来ている。発達障害の支援体制がどんどん構築されてきた今でもそれは変わらない。
そういう意味では、確かに社会の支援は足りていない。

一方で、別の発達障害当事者と話していた時、「我々当事者はもっと頑張ろう」という話になった。
彼の話の趣旨は、社会のサポートは期待できないし、期待してはいけない、だから自分がもっと頑張って、いい生活を勝ち取り、いつか結婚して子供が欲しいというものだった。
そういう意味では、確かに当事者には努力が求められている。

たまたま近いタイミングでこの2つの視点の話を聞き、私は考え込んでしまった。
発達障害当事者の生きづらさを解消する主体は、社会なのか当事者なのか。

いや、結論は明白だ。両者だ。
社会側(行政・民間問わず)にはもっとできることがあるし、当事者も努力していくことで生きづらさを減らすことができる。
本来、わざわざ対立させる必要もない問題だ。

変えられないもの・変えられるもの・見分ける賢さ

それでも私は考え込んでしまった。
私が考えたのは、どこまでを社会のサポートに期待して、どこからが当事者が努力しないといけないのか、という問題だ。

なぜ、私はそんなことを考えたのか。それは、発達障害当事者が努力をしなければならない領域が定まると、無駄な努力をしなくて済むからだ。
過去の話になるが、私は発達障害であることをわかった当初は、それを克服しようとした。例えば、ADHDの特性上苦手である経理職に就いた。
結果は、ボロボロだった。不注意性の高い人間がやるべき仕事ではなかった。
当時の上司がパワハラタイプだったこともあり、私は地獄を見ることになった。今から考えても完全に無駄な努力だった。

ニーバーの祈りという有名な言葉がある。

神よ、私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。
変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。
そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。

というものだ。

この言葉はアルコホーリクス・アノニマス(アメリカのアルコール依存症患者の自助グループ)のプログラム内に採用されて有名になった。
種類は違えど、生きづらさを抱える人に響く言葉ではないだろうか(余談だが、アルコール依存症にも遺伝的要素があることが明らかになってきている。ある程度先天性の要素があることも発達障害との共通点かもしれない)。

そして、ニーバーの祈りで言う、「変えられないもの」については社会のサポートを受け、「変えられるもの」については当事者が努力をする必要がある。
そして、その「変えられないもの」と変えられるものを見分けるには、一定の賢さが必要だ。
過去に私が経理職に就いたのは、当時その賢さが全くなかったからだと言っても過言ではない。

発達障害当事者が「変えられるもの」「変えられないもの」

では、「変えられるもの」、「変えられないもの」の差は何なのか?
正直なところ、当人の状況(発達障害特性の程度・知的能力・家族のサポートなど)、様々な要素によって変わってくるので、一概には言えない。

ただし、一つ明確に言えることがある。特性は「変えられないもの」に入れた方がいいということだ。
薬や心理療法をはじめとして、発達障害特性を和らげるための方法が多くあることはもちろん理解している。
また、発達障害特性を抑えることで生きづらさが大幅に改善することは私自身経験している。特性を改善することに時間を使うことも有効な投資だと思う。

しかし、発達障害を「変えられるもの」とすると、うまくいかなかった時に発達障害特性を言い訳にしてしまい、進歩がなくなる。
発達障害特性は変わればラッキーくらいに思っておいて、発達障害があることを前提に、自分がどう生きていくかを考える方が、現実的で生産的である。

何度もいうが、発達障害特性を楽にするための方法は色々試して欲しいし、うまくいけば本当に楽になる。ただ、それを期待しすぎて、動かないのは良くないということだ。

まずは、自分の特性を受け入れて、そこから現実的にできる一歩を踏み出す勇気を持つ。
今回詳しくは触れなかったが、社会福祉制度を利用しながら、より生きやすい道を探す。
そして、自分を生きやすくするために、「変えられるもの」「変えられないもの」を見分ける賢さを持つ。

そうすると、発達障害当事者はずいぶん生きやすくなると思うのだ。
なお、言うまでもないが、この記事は自戒を込めて書いている。

 

【かめたーとる】
ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事を行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。

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