会社員時代(2)

私は取引先の会社に出向した。

1社目ではうまく仕事ができていなかったが、周囲のサポートもありなんとか仕事をさばいている状況だった。
環境を変えることで「次はうまくいくに違いない」と安易に考えていた。

甘かった。

私が配属されたのは経理部。
既に自分がADHDであることを知っていたので、聞かされたときは「自分の特性と合わないのでは?」と戸惑った。
しかし、「俺ならできる」というヘンな思い込みをまだ持っていた。

取引先からの出向ということで社内の期待も高かったそうだ。

しかし入社してみると、やはり仕事ができない。
前職の関係で財務経理の基礎知識があったものの、実務は未経験だった。
まずそこに慣れないといけない。

それだけでもハードルが高いのに、ミスが多く時間管理が苦手なADHD特性が加わり、壊滅的に仕事ができなかった。

経理という仕事は、事務作業が大量に発生する。
その事務作業を正確に、ミスなく決められた時間内に行わなければいけない。

どう考えても私には向いていない。

私は決められた時間までに仕事を仕上げることがほとんどできなかった。
その上、終わった仕事をチェックするとミスだらけ。
そこから他の人にも手伝ってもらい修正をするのに、更に時間がかかる。
周囲の方に迷惑をかけ続けた。

部署にとって、私はいるだけムダな存在だったと思う。


出向して2週間はみんな優しかった。
しかし、だんだん空気が冷たくなっていくのを感じた。

土日に経理の本を読むなど、なんとか戦力になろうとするが、
焦れば焦るだけ更にミスが多くなる。
周りは私にドンドン辛く当たるようになる。

そして1か月半経ったある日の夜、上司に呼び出され、
激しく叱責を受けた。罵倒された。
1時間ほど怒鳴られ続けたと思う。

それ以後、1週間に2度は怒鳴られたと思う。
私はどんどん落ち込んでいった。

朝起きようとしても体が動かない。
駅を降りて会社に向かう道で、足が進まなくなる。
帰りの電車で号泣する。
食事も喉を通らず、3か月で10kg近く痩せた。
休日に起きても体が全く動かず、そのまま1日を過ごすこともあった。

精神的な限界を超えたことが自分ではっきり自覚できた。
ただ、出向者である以上、簡単にやめるわけにはいかない。
仕事ができない自分とADHD特性を呪い続けていた。

ある朝、駅で特急電車が通り過ぎるとき、
何も考えていないのに足が動き、ホームを越えようとした。
「あ、これ死ぬのかな」とぼんやり思ったが抵抗できなかった。
そのとき、ふと家族と付き合っていた彼女の顔が頭に浮かび、足が止まった。
本当に危険な状態だった。


会社側も私の状態を見ており、私は部署を異動になった。
次の部署の上司は怒鳴ることはなかったので、少しは精神的に落ち着いた。
が、次の仕事も私の特性あっておらず、戦力になることはできなかった。

そして再び部署を異動になった。
私は自分の特性に合う仕事を1つ見つけた。
その仕事は私にしかできなかったので、少し誇らしかった。
しかし、できない仕事の方がはるかに多く、戦力になることはできなかった。

私は絶望と敗北感を感じていた。
とにかくこの状況から逃げ出したいと思った。
会社を辞めるしかなかった。間もなく辞表を提出した。

会社を辞める最終日、ある上司が、
「お前みたいな奴は、どこに行ってもまともに仕事なんかできるものか」
と私に言った。


その会社を離れて5年以上経った。
ありがたいことに、私は当時よりも精神的にかなり楽な状況で生活できている。
そして、私の特性を活かした仕事をさせていただいている。

しかし、当時怒鳴られたことを思い出すと今でも軽いパニック状態になる時がある。
それほどの傷を私の心に残した出来事だった。

そして、「凸凹のある人が合わない仕事をしない方がいい」と強く思うようになった。
また、「努力すればできないことはない」と安易に言う人に強い怒りを感じるようになった。

  • この記事を書いた人
  • 最新の記事
かめたーとる

かめたーとる かめたーとる ADHD(注意・欠陥多動性障害)の診断を受けた当事者。大学卒業後、金融機関を経てベンチャー企業に出向。そこで不適応を起こして逃げるようにフリーランスに。小・中学生対象の塾講師を経て、現在は様々な大学でキャリア教育、就職活動支援の講師をメインに仕事行なっている。特性上、数々の失敗体験、不適応体験を持つ。発達障害者の就労、ADHDの特性の記事などを担当するはずが、思いつくままに記事を書いている。